私が歯科医師になった理由

昭和25年誕生
私は昭和25年に門司の伊川で生まれました。
当時、父は歯科医院を開業したばかりで、伊川から大里まで通っていました。
昭和28年の大水害では奥田峠を歩いて帰り、背広が赤土だらけになり大変だったと、よく聞かされました。伊川では近所の子供にいじめられ、よく泣いていたそうです。
ほとんどの歯が虫歯だった小学生時代
5歳の頃、大里に移り住むようになり、父と母は朝から夜遅くまで診療所で働いておりました。
当時私は甘い物が大好きで、祖父からお金をねだっては買い食いをしていたために、小学校の頃にはほとんどの歯が虫歯になっていました。
治療がイヤでいつも逃げ回っていましたが、ある時歯茎が腫れて高熱が出たために歯を抜かれました。その時の怖かった事といったら、今でも鮮明に思い出します。

そんなわけで歯医者は大嫌い。「世界の偉人」という本を読んで、シュバイツアーにあこがれ、将来は医者になってアフリカに行きたいと思っていました。
運動に明け暮れた中学・高校生時代
中学・高校ではサッカー部に入り、運動に明け暮れていました。
高校3年生の時、メキシコオリンピックで日本のサッカーが3位になった時は、大変感動しました。運動ばかりしていたので当然成績は低迷。受験の際には先生から「受かる学校がないぞ」と脅かされ、父に相談したところ「歯科大を受けたら」と勧められました。今医学部を受験しても絶対に通らないし、「まあいいか〜」とたまたま受験する羽目になりました。

受験は水物、たまたま受験した九州歯科大学に現役で通ってしまいました。父は大喜び、いまさら医学部を浪人して受けるとも言えず、とりあえず歯科医師になることになりました。

そういうわけで、私が歯医者になったのは、明確な目標を持って歯医者になったのではなく、「たまたま」だったのでした。
開業を決めた大学院生時代
大学に入った当時、歯科医師ならば札幌医科大学に3年生で編入する制度がありました。
よし、これで行こうと6年間サッカー部に在籍しながら充実した大学生活を送りました。ところが卒業する前の年からこの制度が廃止になり、途方にくれました。仕方なく、卒業後は大学院で歯周病を研究する事にしました。 世の中はうまくいかないものですね、大学院2年の時父が亡くなりました。このまま大学院を卒業するか、今来てくれている患者様のために開業して後を継ぐか、思案しました。

大学の教授と相談した結果、開業する事にしました。
そして、今…
早いもので開業して20年以上が経過しました。
今つくづく感じる事は、「歯科医師になってよかった」ということです。
たまたま歯科医師になったものの、歯科医師の家に生まれ、患者様との出会いに喜びを感じている自分の姿を見るにつれ、歯科医師が自分の天職だと思うようになりました。

孔子は「50にして天命を知る」と言いましたが、まさに今天から与えられた使命は「患者様に喜ばれ、信頼される人間になり、世の中の人の為に貢献する事」とはっきり言えます。

すべての皆様に感謝。今の気持ちは「敬天愛人」です。